<序章「湯川ホールと佐藤文隆」の内容> 2022年は、福島第一原発の廃炉作業の撮影および理論物理学者佐藤文隆京大名誉教授のインタビューの撮影を進めていたが、福島第一原発は、東京電力の都合により本番撮影が延期になったので、先に京大湯川ホールの取材を敢行した。福島第一は本番撮影が実施でき次第、後続の章で発表したい。 湯川ホールは、湯川秀樹博士のノーベル賞受賞を記念して1952年に建てられた。現在は京都大学基礎物理学研究所として世界と日本の理論物理学者を繋ぐ研究センターとなっている。笠木は1977年から3年半ここで助手をしていた時、世界で活躍する理論物理学者たちが常時開かれる国際会議で議論し研究に明け暮れる姿を目の当たりにしていた。その経験から理論物理の施設の宝は研究者の交流であると確信していたので、今回の湯川ホール撮影は、2022年11月に西宮湯川記念国際滞在型研究会「Novel Quantum States in Condensed Matter 2022」が開催されている時期にお邪魔することにし、湯川記念室と、国際研究会の自由な議論風景を撮影させていただいた。 佐藤文隆先生は、笠木が助手をしていた頃の基礎物理学研究所所長(第3代)で今年84歳、アインシュタインの相対性理論方程式の一般解を解いたことで世界的に有名な理論物理学者である。また、一般向け物理解説書も多数執筆され旺盛な社会発信力は今も健在である。佐藤先生には、自身が物理学者を目指すきっかけとなった広島長崎の原子爆弾について、そして、自身の研究に大きな影響を与えた、原爆の父、ロバート・オッペンハイマーについて語っていただいた。