小野絵麻・二三・絵里 展 ―― 人間・自然・宇宙 パ-トⅢ

2024年6月24日(月)~7月6日(土) 日曜休廊 11:30~19:00 (最終日17:00まで)

art space kimura  ASK?

「小野()()二三(フミ)絵里(エリ)展―人間・自然・宇宙パートⅢ」

2014年に岡山県立美術館で亡き父(小野()())と母(二三(フミ))の展覧会がありました。画家であると同時に 美術教育に生涯を捧げた二人の門下からは原研哉氏をはじめ、多くのデザイナー、画家、彫刻家を輩出しました。

若い頃 抽象画を多く描いていた父(()())は晩年徐々に社会風刺的な作風に変わっていきました。母(二三(フミ))は美しい石前を幻想的に描き、又、子どもの頃から戦争や環境破壊等、人間による暴力が耐えられなかった私(絵里(エリ))は、暴力のない宇宙を描いています。

                                                                                      2024.4 小野絵里(エリ)(長女・画家)

小野絵麻  「浮漂・怒る魚」162.0×194.5cm 油彩 アクリル キャンバス 1978

小野二三  「誇示」45.5×53.0cm 油彩 ボード 1978

小野絵里  「星座図」 162.2×162.2cm  油彩 キャンバス 2002

小野 絵麻  Ono Ema

1917年 岡山県高梁市に生まれる 本名・春治

1937年 東京高等師範学校(現・筑波大学)卒

1938年 旧制中学の教諭のまま応召 日中戦争で中国各地を転戦

1945年 岡山県へ疎開

1962年 類焼のため これ迄の作品の大多数を焼失

1964年 独立展、自由美術展を経て主体美術協会創立、会員、審査員として以後毎年出品

1972年 岡山県展招待出品、次年度より審査員として参加

1979年 美術教育への功績により全国表彰を受ける。小野絵麻・二三・絵里展(東京・日本画廊)

1997年 死去、享年80歳 

網膜色素変性症による視野狭窄がありながら、亡くなる直前まで創作意欲は衰えなかった 

2000年 「小野絵麻・絵里展-人間と宇宙への眼差し」(高梁市歴史美術館)「蛾の勲章」寄託

2001年 「小野絵麻・絵里展-人間と宇宙への眼差し」(銀座・ミカレディイベントホール)

2002年 「戦後岡山の美術(前衛達の姿)」(岡山県立美術館)

2014年 「小野絵麻・二三-人間・幻想・自然」(岡山県立美術館)作品数点収蔵

2016年 「コレクション展」(神奈川県立近代美術館)

その他、ギャラリー川船ほかにて企画展、個展多

小野 二三  Ono Fumi

1915年 大阪市北区に生まれる 本名・仁岸二三子

1919年 北海道釧路で後に画家となる次男・仁岸良次(画号・釧路(せんじ))が生まれる

1926年 日本の自由教育の先駆けであった奈良女子高等師範学校(現・奈良女子大学)附属小学校に転校   

     ここで二三の人格形成に多大な影響があったようだ

1930年 親の勧めで奈良女子師範学校(現・奈良教育大学)1部(4年制)に公費生として入学

1935年 奈良女子師範学校の美術専攻科へ進む

1945年 都島小学校に勤めていた時、大阪空襲に会い、小野絵麻(春治)の故郷の岡山県へ疎開 子供向

     け絵画教室を始める

1962年 類焼のため これ迄の作品の大多数を焼失

1979年 小野絵麻・二三・絵里展(東京・日本画廊)

1997年 小野絵麻(春治)死去により、東京で長女・絵里と暮らす

2002年 「戦後岡山の美術(前衛達の姿)」(岡山県立美術館)

2008年 死去 享年92歳

2014年「小野絵麻・二三-人間・幻想・自然」(岡山県立美術館)

作品数点収蔵 その他、個展、企画展多数

小野 絵里 Ono Eri

1949年  岡山県生まれ  父・絵麻 母・二三 ともに画家

1969年  国際青年美術家展に出品

1971年  多摩美術大学を卒業

1979年  第1回中村正義賞筆頭候補として第5回人人展に招待出品

1983年  安井賞候補

1994年  「平面とイメージの魅惑」展(練馬区立美術館)に出品

2000年から郷里と東京で「小野絵麻・絵里展」(人間と宇宙への眼差し)を開催 2002年  「戦後岡山の美術(前衛達の姿)」展に出品   その他、個展、企画展多数 制作の傍ら動物保護に打ち込む


カテゴリー2024