このたび、
「9月の庭」(A September Garden)関根直子個展を開催いたします。
近年、コンピューターによるグラフィックソフトや新しい描画材など、作家の表現手段が増える中で、関根直子は、鉛筆やシャープペンシルなどのごく身近な描画材を使い、手で絵描くという行為にこだわった作家です。
筆圧の調整によって生まれる、微妙で緻密な線を重ね合わせる事で、線は黒鉛の渦になり、練り消しで黒の濃度に変化をもたせる事で、画面に静かなモノクロームの流れが生まれます。オールオーヴァーな画面は、絵描いてゆくプロセスや時間、そして意識までも感じさせます。今回は、この展覧会のために制作された新作を発表いたします。
この展覧会後は、富山県立近代美術館の「I BELIEVE 日本の現代美術」 (2009年10月10日〜11月29日) に参加することが決まっています。皆様に御高覧頂ければ幸いです。
展覧会に寄せて文章を頂きました
舞踏の絵画、あるいは冬の花火
―関根直子に
新見 隆
「夜に見えるもの」2009年 80×70cm
関根直子:多面体としての絵画
西村智弘(美術評論家)
関根直子の絵画に対するアプローチはかなり独特である。関根には、絵画に関して独自な考え方があり、それが彼女の作品を他の絵画と隔てている。しかし、このような言い方そのものが、絵画に対する固定観点に捉われているかもしれない。今日常識化している固定的な観念から離れてみるとき、むしろ彼女の方が絵画に対して本質的なアプローチを試みていることがわかる。
関根は、水彩紙に鉛筆で描く画家である。タッチのあり方を決めると、調子を変えずにひたすらそのタッチで画面を埋めていく。ただし、鉛筆だけでなく錬り消しゴムもよく使う。描くと同時に消すことも重要であって、描いたり消したりする作業を繰り返しながら、全体が茫洋とした独特の画面をつくりだす。
学生時代に関根は、改めて絵画とは何かという問題に突き当たった。彼女には、従来の絵画制作の方法に対する違和感があったようである。一般に美術学校とは、絵画とはこう描くべきだという方法を教える場所であり、学生は学んだ方法に基づいて制作する。しかし、そこで教えられる方法は、かつてそれが生まれた当初は新鮮だったであろうが、長い時間が経過するなかで慣習化されている。関根の違和感は、慣習化された方法を無前提に受け入れることにあったようだ。この違和感が鉛筆で描くというシンプルな方法を選択させるきっかけとなっている。
基本的な関根の制作態度として、できるだけ方向性を定めないことがある。彼女の作品は、断定しない絵画なのである。たとえば初期の作品では、建物や部屋の一部、あるいは山のような形が描かれていた。しかしそれは、「〜のような」としかいえない曖昧さをもっていて、「〜である」と断言できないイメージとなっている。このイメージは、空間的な奥行きを喚起させるが、必ずしも特定の具体物を示していない。
近年の関根の絵画は、以前と比べると抽象的になっている。しかしそこでも、山のある風景や雲に覆われた空などを思わせるイメージが描かれていて、具体性が失われているわけではない。彼女の絵画は決して抽象ではないのである。確かに形象がより曖昧になっているが、イメージを否定しているわけではない。以前よりもイメージの断定性が希薄になったということだろう。
イメージの曖昧さは、制作するときの進め方にも関わっている。関根は、全体の見取り図がはっきりとあって、部分を埋めていくという描き方をしていない。漠然とした全体のイメージはあるにしても、描いているときは部分に集中しており、細かいタッチの集積から全体がつくられていく。タッチが変われば、作り手側の意識も変化し、結果として現れるイメージも違ってくるだろう。
一般に具象絵画には、なにか具体的なものが描かれている。この描かれたものが「地」に対する「図」として立ち現われる。見る側は、この「図」の部分を見て「〜が描かれている」と理解する。それに対して関根は、あらかじめ「図」を目指さないという態度で描いている。明確な方向性を定めないで、細かいタッチを描く行為に身を任せている。
関根の絵画において、部分と全体という対立は存在しない。作品に近付いて部分に注目すれば、鉛筆のタッチに目が向かい、全体は見えなくなる。逆に、距離を置いて全体を眺めると、個々のタッチはまったく見えなくなる。部分は部分で自立しており、全体は全体で完結している。部分と全体はそれぞれが異なる次元を形成していて、両者が有機的に関係しあっている。関根の絵画は、作品に対する距離によって見え方が変わるし、角度によっても変化するだろう。
関根は、見る側を空間的に方向づけることを避けようとしている。絵画は、決して一面的に存在していないのであり、作品との関わり方によって空間のあり方が切り替わる。それは、さまざまな空間を出現させる多面的なものとして存在している。このことはまた、関根の絵画が見る側の空間を巻きこんでいるということでもある。単に見るだけでなく、身体的に体験する絵画なのである。関根は、作品が置かれる空間、あるいはそこに立つ者の身体に対し、できるだけ開かれた状態をつくりだそうとしているといえよう。
このような関根の作品は、西洋近代的な絵画観とは異質な次元にある。むしろそれは、近代以前の絵画のあり方に近い。西洋の近代美術は、絵画の自立化を促し、矩形の平面のなかで完結する純粋視覚的な方向を押し進めた。それは、純粋に見るという行為に方向づけられた絵画である。一方、近代以前では、絵画は絵画として独立していない。たとえば日本の場合でいえば、襖絵や屏風絵などがそうで、あくまで家具や建築の一部としてある。こうした伝統的な絵画は、それが置かれた場所と共にあり、単に向き合って鑑賞するのではない空間的な多様性をもっている。
もちろん関根は現代美術の作家であるので、近代以降の絵画の概念の延長で制作している。しかし、その枠のなかに収まらないものを志向しているのは確かである。それは、伝統に回帰することではなく、絵画が本来的にもっていた豊かさを回復する試みになっている。
関根直子略歴
1977 東京生まれ
1999 武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業
2001 武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻油絵コース修了
[個展]
2002 フタバ画廊 (東京)
2003 フタバ画廊 (東京)
2004 「そとがわのうちがわ」 トーキョーワンダーサイト (東京)
「線、海からの帰還」αmプロジェクト / art space kimura ASK? (東京)
2008 「巡る、佇む」 ギャラリエアンドウ (東京)
[グループ展]
1998 「terminal・現代美術交流展」 / 武蔵野美術大学×クンストアカデミー・デュッセルドルフ / 武蔵野美術大学内 (東京)
1999 「"POSITION"三人展」 埼玉県立近代美術館一般展示室 (埼玉)
「terminal DJ」 / Kunst Akademie Dusseldorf×Musashino Art University / Kunst Akademie Dusseldorf (Germany)
2005 「つくられる平面」 コートギャラリー国立 (東京)
2006 「Chaosmos'05-辿りつけない光景」 佐倉市立美術館 (千葉)
2007 「線の迷宮<ラビリンス>U-鉛筆と黒鉛の旋律」 目黒区美術館 (東京)
2008 「Black,White and GRAY」 MA2ギャラリー (東京)
「VOCA展2008-現代美術の展望-新しい平面の作家たち」 上野の森美術館 (東京)
[受賞]
2002 トーキョーワンダーウォール賞 / トーキョーワンダーウォール公募2002
2008 府中市美術館賞 / VOCA展2008
[作品所蔵]
府中市美術館
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