舞踏の絵画、あるいは冬の花火
―関根直子に
新見 隆
武蔵野美術大学芸術文化学科
キュレーター
デザイン史、美術館論
二期リゾート文化顧問
台風で、嵐のような雨風の吹きすさぶ八月の最後の月曜、京橋のASKでやっている、関根直子さんの個展に行った。
彼女の木更津のアトリエに行ったのは、あれは、何年前の初夏だったろうか。今はリクルート社のエリート社員になっているゼミ生の戸澤君といっしょだった。
海辺の、殺伐とした漁師町の風景と、引き込み線に放り出された貨車が、港町育ちの私は、妙に印象に残った。
それかどうか、単純な私は、多彩でそのじつポリフォニックな運動を感じさせる関根の鉛筆画を、その時には、文人南画的な、桃源郷というか、東海に浮かぶ仙境島へ向かう海の旅のように感じて、そういうようにきわめて文学的にパンフレットにも書いたようだ。まあ、作家は、見る者が自分の絵に何を感じようがそんなことは我知らんことだろうし、そんな単純な絵解きまがいを、今だにやる奴もいるのかと呆れられたかも知れないが、まあ、それも見者としての私の勝手だろうし、すべて、言葉はそこに何か、言い得ぬものを隠した比喩としてしか機能しない、というのが持論である。
だから、関根の鉛筆画に、ショパンの舟歌(「バルカロール」は、むろん、夕陽にとろとろと溶けながら暮れなずむ、かのヴェニスの干潟の光景だが)を聴く私は、この台風の日に、関根の絵に、今度は「冬の花火」を思ったのである。
それは、魅力的で不思議な、光のような点点も見えたので、またまた短絡的に、夜の空を思ったというじつに幼稚な反応だが、むしろ、それは、冬の乾いた空に炸裂する、花火の気持ちの良い、音の谺だった。
関根の絵画は、音なのか。
まあ、寡黙で大人しい関根本人の、隠された苛烈さが感じられれば、私にはそれでじゅうぶんなのである。
たまたま、その前日に、国立新美術館で、素晴らしい個展というか、正確には写真家野口さんとの二人展だが、吃驚するぐらい気持ちの良い展示を繰り広げている、松本陽子さんのアーティスト・トークを聴きに行って、二度目にあたる松本さんの自作の話しに、久しぶりに聞き入ったこともある。二人とも、2003年に、自分が担当したαM(むろん、この頃は会場はASKさんなんだが)プロジェクトの作家である。
まだ行ったこともない、ヒューストンの、ロスコ・チャペルじゃないが、なんか「松本チャペル」みたいに、馬鹿でかい空間が、ぐっと低く展示された、松本絵画に従えられたペガサスのようで、小気味良い精神空間になっている。(あそこでの展観も種種いろいろあるが、まあ新美ではごく珍しい、良い展示に仕上がっている)αMの時に出してもらった、思い出深い、今は東京都の現代美術館にある「宇宙エーテル体」が、第三室の正面にかけてあって、そこに足を運んだ時、目頭が熱くなって一瞬声が出なかったぐらいだ。
それで、その日は朝から、この頃は偏執的に毎日やっている「弁当スケッチ」を、ペンでやらずに(いつもは、ペンでやって色鉛筆で色塗りするのだが)、庭を描くときみたいに、いきなり色鉛筆で描いていて、これはいけそうかな、と何となく感じた、その日のことだった。
だから関根の鉛筆画は、やはり、舞踏的である。
(これも、松本さんがおっしゃった、「もうアトリエで、大きいキャンバスを床に置いて、腰屈めて、一日じゅう田植えよ!田植えなんだから、たいへんというか、もう、最後は、構図とか何とかというのじゃなく、絵画のなかに自分が入り込むというか、身体ぜんたいでやる、舞踏みたいなもの!」というのの、またまた単純な受け売りだ。)
だが、やはり、関根の空間は、舞踏的である。
その意味をこれから、私も、ショパンを聴きながら、そして他人にはいっさい関係のない、私だけのこだわり、「弁当画」を描きながら、ゆっくり秋まで考えようと思った。
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