小野絵麻・二三・絵里 展
人間・自然・宇宙 パ-ト1



2019年1月21日(月) ~ 2月2日(土)

open : 11:30~19:00 (日曜休廊、最終日は17:00まで)

会場 : art space kimura ASK? (2F)

 
 東京高等師範学校(現・筑波大学)を卒業した父・小野絵麻(エマ)と、奈良女子師範学校(現・奈良教育大学)を卒業した母・小野(旧姓・仁岸)二三(フミ)は戦火を逃れて疎開した岡山の地で、美術教育にその生涯を捧げました。その門下からは原研哉氏をはじめ、多くの美術家やデザイナ-が輩出されました。父・絵麻は中国戦線の最中、戦友からシュルレアリスム文学の影響を受け、その後独自の絵画世界を築きました。多くの方々に亡き両親の絵画を知って戴きたく、この度 父・絵麻の1960年代の作品を中心に、母の作品と私の若い頃からの作品を数点ずつ展示いたします。    小野絵里(画家・長女)


小野 絵麻 Ema Ono


1917 年  岡山県高梁市に生まれる 本名・春治
1937 年 東京高等師範学校(現・筑波大学)卒
1938 年 旧制中学の教諭のまま応召 日中戦争で中国各地を転戦
1945 年 岡山県へ疎開
1962 年 類焼のため これ迄の作品の大多数を焼失
1964 年 独立展、自由美術展を経て主体美術協会創立、会員、審査員として以後毎年出品
1972 年 岡山県展招待出品、次年度より審査員として参加
1979 年 美術教育への功績により全国表彰を受ける 小野絵麻・二三・絵里展(東京・日本画廊)
1989 年 岡山県文化賞受賞
1997 年 死去、享年80 歳 
     網膜色素変性症による視野狭窄がありながら、亡くなる直前まで 創作意 欲は衰えなかった
2000年 「 小野絵麻・絵里展-人間と宇宙への眼差し」(高梁市歴史美術館)「蛾の勲章」寄託
2001 年 「小野絵麻・絵里展-人間と宇宙への眼差し」(銀座・ミカレディイベン トホール)
2002 年 「戦後岡山の美術(前衛達の姿)」(岡山県立美術館)
2014 年 「小野絵麻・二三-人間・幻想・自然」(岡山県立美術館)作品数点収蔵
2016 年 「コレクション展」(神奈川県立近代美術館)
その他、ギャラリー川船ほかにて企画展、個展多数





小野 二三 Fumi Ono


1915 年 大阪市北区に生まれる 本名・仁岸二三子
1919 年 北海道釧路で後に画家となる次男・仁岸良次(画号・釧路)が生まれる
1926 年 日本の自由教育の先駆けであった奈良女子高等師範学校(現・奈良女子大学)附属小学 
    校に転校 ここで二三の人格形成に多大な影響があったようだ
1930 年 親の勧めで奈良女子師範学校(現・奈良教育大学)1 部(4 年制)に公費生として入学
1935 年 奈良女子師範学校の美術専攻科へ進む
1945 年 都島小学校に勤めていた時、大阪空襲に会い、小野絵麻(春治)の故郷 の岡山県へ疎開 
    子供向け絵画教室を始める  
1962 年 類焼のため これ迄の作品の大多数を焼失
1979 年 小野絵麻・二三・絵里展(東京・日本画廊)
1997 年 小野絵麻(春治)死去により、東京で長女・絵里と暮らす
2002 年 「戦後岡山の美術(前衛達の姿)」(岡山県立美術館)
2008 年 死去 享年92 歳
2014 年 「小野絵麻・二三-人間・幻想・自然」(岡山県立美術館)作品数点収蔵
その他、個展、企画展多数





小野 絵里 Eri Ono


1949 年 父・絵麻 母・二三の長女として岡山県高梁市に生まれる
1969 年 国際青年美術家展
1971 年 多摩美術大学絵画科卒業
1979 年 第1回中村正義賞筆頭候補として第五回人人展に招待出品
1983 年 安井賞候補
1994 年 「平面とイメージの魅惑」(練馬区立美術館)
2000 年 「小野絵麻・絵里展-人間と宇宙への眼差し」(高梁市歴史美術館)
2001 年 「小野絵麻・絵里展-人間と宇宙への眼差し」(銀座・ミカレディイベントホール)
2002 年 「戦後岡山の美術(前衛達の姿)」(岡山県立美術館)
2014 年 両親の作品集「小野絵麻・二三-人間・幻想・自然」を刊行
その他、個展、企画展多数   制作の傍ら動物保護に打ち込む
 
小野絵麻  「独裁者フロッタージュ氏の肖像」107.0×68.5cm 板  油彩  196


 
小野二三   「霊鳥乱舞」60.6××72.7cm キャンバス 油彩1978
 
 小野絵里 「至聖所」 162.2×162.2cm  油彩 キャンバス 網 1988



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