「 井 上 実 展 」


2015年10月26日(月) ~ 11月7日(土)

open : 11:30~19:00 (日曜休廊・最終日は17:00まで)

会場 : art space kimura ASK? (2F)


 
 

「空地」 2015年 97.0×130.3cm

 




井上実の絵画:描くことの境地について

西村智弘(美術評論家)

 井上実にとっての絵画の探求は、自分が制作するに当たってもっともふさわしい絵画のあり方を見いだすことにあった。どうすれば自分の望むイメージを自分の素質に見合った描き方で絵画にすることができるのか。これは、画家であれば当然の問いかけといえるが、井上はその問いを突き詰めて追求しているうちに、かなり独自な境地に到達してしまった。それを境地と呼ぶのは、通常の画家であれば彼のようなやり方で描くことができないと思えるからである。

 井上の作家としての出発点は、白い紙に植物の葉の線画を描き、それを切り取ったものを元の位置に貼り直した作品にあった。当時は現代美術にとらわれていたと井上はいうが、絵画の前提を検証する試みであったともいえる。彼は現代美術の発想から離れ、ストレートに絵画を制作するようになる。白い画面のなかに淡い色調で観葉植物の部分を描いた作品で、絵具の質感に対するこだわりから厚塗りと薄塗りを併用していた。一方、なぜか井上は背景を描くことができずにいたが、昆虫をモチーフにすることで背景が登場し、植物のモチーフでも背景を描くことが可能になった。その後、薄塗りだけで描くことができるようになり、それとともに植物の描写が緻密になって今日の作品に至っている。

 井上の絵画は、ほぼ一貫して植物をモチーフにしている。彼は、葉と葉が重なり合って錯綜する様子に魅入られているらしく、そこから感じるリアルな印象を画面に定着させようとしている。自分で草むらの写真を撮り、それに基づいて絵画を制作しているのだが、元の写真と完成した絵画を比較すると、きわめて忠実に写真を再現していることがわかる。しかし井上の関心は、あくまで自分の感じるリアルさを実現することにあり、決して写真的な再現を目指しているわけではない。

 井上の制作の特異さは、絵画を描くときの姿勢にある。彼は、下書きをしたうえで画面全体をいくつかのパートに分け、画面の右下の方から描き始める。そこから順々にパートを描いていって、画面のすべてが埋まれば作品が完成する。このとき彼は、描いた箇所にあとから修正を加えることを原則的にしない。普通の画家であれば、画面全体の出来具合を確認しながら構図や色などを調整して描いていくものだが、井上はそうした作業をしないのであった。隅の方から順々に描いていって、直すことなくそのまま作品が完成してしまう。

 井上は、描いている最中に主観が入りこむことを極力避けようとしている。そして主観性を徹底して排除した結果、自分で判断して描くことを放棄するに至ったのである(彼が写真を忠実に描くのも、自分の判断を介入させないためだろう)。だから彼は、全体の構図や色の配分など本来なら画家が細心の注意を払うべきことに煩わされることなく描き続けることができる。井上は、下手に自分で考えるとかえって作品が悪くなるというのだが、普通ならばここまで割り切って絵画を制作することはできないであろう。しかも、彼が描いているのは単純な絵ではなく、きわめて錯綜した複雑な画面なのである。

 もちろん描かれるモチーフは井上自身が選んだものだが、彼はこのモチーフに対して限りなく虚心に向き合おうとする。井上が行っているのは、描くという行為から自分自身を消し去ることである。それは自分を否定することではなく、描く行為から自分自身を解放することであろう。わたしは、こうした制作態度を一種の無我の境地ではないかとも思うのだ。井上は、描くという行為それ自体からモチーフが自然に立ち現れるようなスタンスをつくりだしている。自分がなにかを主張するのではなく、描いている本人が無心になることによって、モチーフの本質がそのまま露わになるのである。彼が自分自身を消し去るのは、モチーフのもつリアルさを絵画として純粋に出現させるためでもあった。

 井上の絵画は、植物を忠実に描いている点でオーソドックスな作品ともいえるのだが、判断を介入させずに描くスタンスはおよそ尋常ではない。そこから生みだされる画面もまた、従来の絵画にはなかった新たな地平に到達している。井上の絵画のもつ独自性は、画面が大きいほうがより伝わるであろう。今回の個展は、彼にとって最大サイズに当たる130号の絵画を中心とした新作で構成されており、満を持しての展示となる。この展覧会は、井上の絵画の集大成であると同時に、新たな出発点となるだろう。

 




【井上実 Minoru Inoue】

■  略歴  

1970年 大阪府生まれ
1992年 東京造形大学造形学部美術科Ⅰ類退学
1992-3年 フランス滞在


■  主な個展

2002年  exhibit speace Vision’s,東京
2003年 「project N 14」東京オペラシティアートギャラリー,東京
2005年  A-things,東京
2004,5,7年 「岡村多佳夫企画16,19,21」 アユミギャラリー,東京
2006,9,11年  switch point,東京
2013年  プラザギャラリー,東京


■  主なグループ展

2007年 「井上実 天本健一展 -散歩と部屋-」 文房堂ギャラリー,東京
2008年 「第四回造形現代芸術家展 - 変換される視線」 東京造形大学付属横山記念マンズー美術館,東京
2011年 「KAITEKIのかたち」展  スパイラル,東京
2013年 「視触手考画説」 TOKYO ART MUSEUM,東京
2014年 「イタヅクシ」 See Saw gallery + cafe , 愛知県立芸術大学サテライトギャラリー,愛知


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