ASK?映像祭2010総評

西村智弘(映像評論家)

 ASK?映像祭のコンペティションも今年で7回目となった。小規模なコンペであるが、作品のレベルはつねに高い。
今年の応募総数は37本であいかわらず少ないものの(これでも年々多くなっている)、いままでのコンペのなかでもとくに水準の高い作品が集まった。いつも各審査員がすべての作品を見て評価すべきものをあげ、その評価を照らし合わせることで賞や入選を選んでいる。これまではどの作品を大賞にするかでもめることが多かったが、今回は上位作品の賞はすんなり決まった。しかし別の問題でもめることになった。それはどこまでを入選にするかである。
 ASK?映像祭では、コンペの受賞作品と入選作品をひとつのプログラムを使って上映している。入選作品の数を最初に決めず、プログラムが成立する程度の時間数のなかで作品を選んできた。しかし今回は、例年に比べて分数の長い作品が集まったことに加え、全体のレベルが高いために入選させたい作品の数が増えてしまった。入選以下の作品には評価が分かれるものも少なからずあって、各審査員の意見を聞いていくとひとつのプログラムに収まらなくなる。そこで苦肉の策として「次点」を設け、会場に置いたモニターで流すという手段を取ることになった。この方法がよかったのかどうかわからない。次回の検討課題としたい。
 大賞は三角芳子の「Googuri Googuri」に決まった。色鉛筆によるアニメーションで、技術の高さ、作品のまとまりなど、総合的によくできた作品である。気になる点をあげるとするなら、すでに本人も周りからいわれていると思うが、フレドリック・バックの影響が色濃いことだ。しかし、彼女の力量はそこに収まるものではないだろう。今後の展開に期待したい作家である。
 久里洋二賞となった大見明子の「収集家の散歩」は、多様なアニメーションの技法に実写を組み合わせた作品で、発想の斬新さが際立っていた。西村智弘賞には北村愛子の「服を着るまで」を選んだ。引きこもりの少女を主人公にしたアニメーションで、シュールなイメージが現代の若者の心象をリアルに表現することに成功している。ASK?賞の「めまくら」(白玖欣宏+平岡佐知子)は夢の世界を描いているのだが、全体を赤で統一し、さまざまな技法を取り入れることで独自な画面をつくりだした力作であった。
 奥田昌輝の「くちゃお」は、子供の世界をテンポよく描いたアニメーションで、音楽の使い方もおもしろく完成度の高い作品である。ただし、いかにも山村浩二風なところが気にかかる。大賞作品を含め影響関係がはっきりわかる作品がいくつかあった。梅津研の「よたか」は実に丁寧につくられたきり絵アニメーションの力作だが、ユーリ・ノルシュテンインの影響が強い。今後はより個性的なスタイルの確立が求められる。
 常連の作家も健闘している。水江未来の「MODERN」は、従来の有機的イメージと異なる幾何学的形態のアニメーションである。新たなスタイルに挑戦しており、この作家の力量を感じた。孫干景は、水のモチーフを好む作家であるが、「小川」は水や風景のイメージが空間的な奥行きのなかで変化していく点に新味があり、映像の強度を感じさせる秀作に仕上がっている。
 田中美妃の「つままれるコマ」は、人生を双六に見立てたアニメーションで、イメージの変化が楽しく作品としてよくまとまっている。青柳清美の人形アニメーション「蛇が泣く」は、日本的イメージとエロティシズムを融合させたところに独自性がある。島谷直樹の「ポジティブな絵が描けない」はそのシュールな展開が、森下裕介の「Panta rhei」は端正なイメージづくりが、井川文恵の「モーフ」は丁寧なコマ撮り技術がそれぞれ評価できる。次点のなかでは戸川蛍の「Catharsis」に注目したい。室内で生活する女性を8ミリカメラでバルブ撮影したこの作品は、デジタル表現が多いなかで貴重な試みである。


木邑芳幸(ASK?代表)

今年は応募総数37本と応募者数はやや増えた程度だが、全体にクオリティが高い作品が多かった。
今年色々な学校の卒展、修了展を拝見する機会が有ったが、いずれもレベルが高く 今年の映像祭の質の高い予兆を感じていた。 今回入選に値する作品が多く、上映時間などを考慮して僅差の作品は次点という扱いに させて頂いた。
・「Googuri Googuri」三角芳子 (大賞)  描かれては流れていくイメージ。生命を感じる青、赤、黄色、影の灰色を画面全体に満たしている。ベッドに横たわる老人と少女の髪の毛の黒いラインが渾然一体となって、生命という存在、自然、死のイメージまで統合しつつ、声、呼吸が巧みに音響として使われ、ある種のカタルシスに導かせてしまう作品であった。映像という視覚情報を超えた何かを垣間見た体験であった。
・「収集家の散歩」大見明子(久里洋二賞) メデューサは見た人間を石にしてしまったか…。散歩中に見えている光景が粘土のオブジェに固定されてしまうという、ちょっと恐ろしい作品である。更に収集され粘土になったオブジェは一塊となり、消失してしまう。映像の3D(3次元)への拡張ならぬ1D(1次元)への収束であろうか…。映像の源を考えさせられる作品であった。
・「服を着るまで」北村愛子(西村智弘賞) 服を着るということは、自己を社会的に規定するということか?部屋で服を着ない一人暮らしの女性の自己意識が拡張して社会との境がなくなる。自己が拡張する強迫観念的イメージと、弦楽器のタイトな演奏が緊張感に満ちた美しい世界を創っている。
・「めまくら」白玖欣宏+平岡佐知子(ASK?賞) 増感現像したような粒子の粗くコントラストが効いたモノトーンの画像は、昔のアンダーグラウンド演劇のポスターを思わせる。動画と言うよりは静止画のイメージを巧く積み重ねて独特の世界を築いている。瞑想的な音響を響かせ白日夢の如き体験を喚起させる力量は今後の展開が楽しみである。 ・「くちゃお」奥田昌輝 フーセンガムを噛むという単純且つ生理的行為は子供の妄想を膨らませる。子供の快楽的イメージがどんどん膨らんでいく面白さを共有出来る作品である。
・「MODERN」水江未来 水江は連続して上質の作品を提供しているが、今回は一連の有機的な細胞シリーズとは異なり、シンプルな直線を用いた作品であった。音響と共に純粋な画面構成の展開を楽しめた。
・「つままれるコマ」田中美妃 生まれてからコマとしてスゴロクの中で生かされている子供の姿がコミカルに描かれている。テンポのとりかたが絶妙であった。
・「蛇が泣く」青柳清美 蛇と少女の戯れの中、男女のエロティックで残酷なイメージが日本的な隠喩のなかで描かれている作品であった。
・「小川」孫干景 現実の世界にシンプルなフィルターをかける事より、新しい見え方が出現する美しい映像である。更に新しい発見を期待する。
・「よたか」梅津研 生物の森の気配すら感じさせる巧みな光の使い方が印象に残った。宮沢賢治にとって光は重要な要素である。 「ポジティブな絵が描けない」島谷直樹 顔だけ笑って切断された腕から血が噴出すという、なかなか考えつきそうで考えないようなイメージを作品としている実に恐い作品である。実際の社会に対する強いメッセージも感じられる作品であった。
・「モーフ」井川文恵 遠足前の不安で且つ、楽しみなイメージをモーフを擬人化して描いている。懐かしさを呼ぶ作品であった。
・「PLAYGROUND」水江未来 こちらは有機的細胞型であるが、音、イメージ共にシンプルに描いている。直線の織り成すおもしろさを描いている「MODERN」 と対をなす作品に思えた。
・「Panta rhei」森下裕介 歯車と星のイメージとファンタジックを描いている。クラシカルではあるが丁寧につくりこんでいる。

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