銅金裕司展 DOGANE Yuji
生と死の半分あるいは「manuality」@ASK?2008
3.11(Tue)〜 3.22(Sat)11:30〜19:00(最終日17:00まで) 日祝休み
【内 容】
バイオ・メディア・アーティスト(BIO-MEDIA ARTIST)の銅金裕司氏の展覧会を開催いたします。
一昨年の展覧会では、人の頬から発する微弱な生体電位を採取し、個々の生体電位の変化の波形、スペクトル、
さらに、音に変換し音楽として体感するインタラクティブな作品を展示いたしました。
会場では十人十色の生成された音楽が流れ、 たくさんの来場者に感動を与えました。
氏は現在までランの花をはじめ、多種にわたる植物などの生物の生体電位を研究しておりますが、
今回はミクロの世界の粘菌を使い、展示いたします。
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今回の展示では、粘菌の生きた様子を生体電位で示して、それを音に変換した空間を作ります。
そこでは、とても危うい生と死のバランスを構成することになります。
このように、みたこともない自然に関与すること。
そこで創発しうる人の潜在能力をサイレント・ダイアローグ展(ICC、07 11-08 02)で「manuality(マニュアリティ)」
という造語で 提案しました。「manuality」とは生と死を予見するごく普通に人がもつ潜在的な感性です。
そして、ここでは粘菌。Physarum polycephalum、モジホコリ属モジホコリ。
よく観察してみてください。粘菌の尾の部分はもうすでに死んでいます。死にながら生き続けています。
とはいえ、人の手を入れて(manualityの発動)、圧倒的に殺しながらも、最適な工夫(manualityの定着)を
見つけないと、 あっという間に粘菌は全部死んでしまいます。
でも、その危機的状況でも私たちの手の感性(manual)は思いもかけない創発をするのです。
このような繊細なレベルで私たちが自然に関与すること。
生と死が交差する人の行為の現場。
いま見た粘菌を想起するとき、その粘菌は、もう死んでいます。
銅金裕司
【略 歴】
神戸市生まれ。
海洋学を修めた後、園芸に転向し千葉大学大学院博士課程修了。
その後、学術的な新しい試みに挑戦しつつ、
メディアアートで美術館、ギャラリーなどで作品展示、ワークショップ多数。
学術博士 Ph.D(植物生理学、園芸学)、工学修士(海洋学)
2000年以降の主な展示
2001年11月「オーキソイド2001」ロボット・ミーム展-ロボットは文化の遺伝子を運ぶか?(日本科学未来館)東京
2003年7月「プラントロン」グリーンスペース展 東京藝術大学・ワイマールバウハウス大学交流展 ワイマール大学 ドイツ
2003年10月「オーキソイド2003」人とロボット展(パリ日本文化会館)フランス
2004年3月 「voice plantron2004」OSAKA 04春・花・生?21世紀の芸術と生命の交差 大阪府現代美術館CASO
2004年9月 「プラントロン&受胎振動2004」 セントラルイースト東京
2004年10月 「プラントロン in 光州ビエンナーレ」光州ビエンナーレ 韓国
2004年10月「オーキソイド2004」「人、場所、共存」(金沢21世紀美術館企画展示)
2004年12月 「植物カメラ」新花論 東京都写真美術館
2005年1月 「受胎振動2004in ask」 art space kimura ASK? 東京
2006年1月 「美容音楽」art space kimura ASK? 東京
2007年7月-12月 森のなかで 粘菌プラントロンほか 田辺市立美術館 熊野古道なかへち美術館、和歌山県立近代美術館
2007年11月 サイレントダイアローグ展 NTT ICC
【PHOTO】